先日、父の七回忌でした。
お寺から和尚さんに来てもらって、自宅で簡単に済ませました。
集まったのは、弟夫婦と私の3人だけです。
平日でしたから、動ける人が少なかったのです。
私の家族も、みんな仕事でした。
先代への申し訳なさと、法要という「実労働」
父は会社の先代でしたから、今の状況を思うと申し訳なさは拭えません。
ですが、私は毎朝仏壇に手を合わせているので、その日だからといって急に特別な気持ちになるわけでもありません。
日々の中で父とは対話しているつもりです。
それよりも切実だったのは、法要の「準備と片付け」という現実でした。
仏壇の掃除にお供え物、座布団の配置。
和尚さんを迎えるために車庫も片付けました。
和尚さんが帰った後は、また片付けと掃除です。
法要そのものは30分でも、前後を含めれば半日がかりの重労働です。
今の私にとっては、供養の儀式という以上に、必死にこなすべき「ひと仕事」というのが本音でした。
賑やかだったお盆の記憶と、苦渋の選択
そういえば、毎年お盆には親戚が集まって法要をしていました。
12人くらいは来ていたでしょうか。
法要の後は、食事会をして、けっこう賑やかに過ごしていました。
年に一度、みんなで顔を合わせて近況を話したり、甥っ子の成長に驚いたり。
最近は会社が厳しくて大変だ、なんて話も出ていました。
でも、まさか向こう側に落っこちるとは思っても見ませんでした。
というわけで、去年の夏は、とても無理でした。
精神的にも、予算的にも。
なので、お寺にお布施を出して、合同のお盆法要にしてもらいました。
今の私にできる範囲で、無理をせず向き合う
こういう臨時の措置が、ずっと続くのか。
経済的に安定してきて、元のように戻せるのか。
それは分かりません。
今は、最低限のことしかできなくて仕方ない。
そう思っています。
できる範囲で、やれることをやる。
それ以上は、無理をしない。
今の私には、それで精一杯です。


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