【惨めな瞬間】あの頃の自分と今|風で帽子が飛んで

破産後の生活・再出発

平日の昼間、自転車でスーパーやドラッグストアに向かいます。静かな住宅街です。

以前は日曜日も会社に出ていて、こんな時間に外を歩くことはありませんでした。今は週に何度もこの道を通ります。健康にもいいし、自分では気に入っています。

それでも、ふと思うことがあります。

「またウロウロしてる、って思われてるんじゃないか」

帽子が飛んだ

風で帽子が飛ぶことがあります。気をつけて深めにかぶるんですけど、自然には勝てません。ずいぶんと後ろまで飛ぶことが多いので、自転車を転回して拾いに戻ります。

その時、なぜかとても悲しくなります。

なぜ悲しいのか分からない

戻って帽子を拾うだけです。でも戻るっていうのが悲しい。拾うのも悲しい。砂を払うのも悲しい。大抵の場合誰も見てはいません。笑われてもいません。

それでも、何かが恥ずかしい。この気持ちに名前はありません。ただ、胸の奥が重くなります。

生活は気に入っているはずなのに

自転車と徒歩の生活は、悪くありません。行動範囲は狭くなりましたが、不便は感じていません。太ももの筋肉もしっかりしてきました。当時はとても無理でしたが、今は一番重いギアで帰りの上り坂を登ります。小さな成長が嬉しいです。

車があれば便利だとは思います。でも、今の生活ならコスパは悪い。経済的に持てないというのもありますが、仮に持てたとしても、今は必要ないかもしれません。

それなのに車に乗っている人を見ると、羨ましく思ってしまいます。

以前は当たり前のことだったのに。

惨めさの正体

何が惨めなのか、自分でもよく分かりません。

自転車に乗っていることが惨めなのか。平日の昼間に外にいることが惨めなのか。それとも、昔の自分と比べている自分が惨めなのか。

会社を経営していた頃は、日曜日も出かけていました。家にいることは、ほとんどありませんでした。今は平日の昼間に毎日この辺りをうろついています。ご近所の数件からの目は、気になります。「あの人、いつもいるな」と思われているかもしれません。でも、それは想像であって、誰も何も言ってきません。

車に戻る選択肢は、今はありません。でも、これは逃げではなく「選択」です。自転車で十分な生活を、自分で選んでいます。

それでも、帽子を拾いに戻る瞬間、悲しくなります。

まだ慣れていないだけかもしれない

いつか気にならなくなるかもしれません。ならないかもしれません。分かりません。

ただ、今日も自転車でスーパーやドラッグストアに行きます。

帽子が飛ばないように、少しだけ深くかぶります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました