【凋落の始まり】知らなかった負の遺産|先代が大切にしていたもの

倒産前の経営・人と組織

前回の記事で、取引削減の理由について「本当の理由は他にあったと私は思っています」と書きました。今回はその話をします。

ただ、先に言っておきます。これは先代の悪口を書くための記事ではありません。


突きつけられた「取引見直し」の通告

社長を交代すると告げられた当日、メインの得意先から「取引を根底から見直す」と言われました。表向きの理由は「技術や商品の陳腐化」でした。

その説明を聞いた時、私はそのまま受け取っていました。確かに自社の製品は時代遅れになっていた部分もあった。だから「それが理由なんだろう」と思っていました。

しかし社長になってから得意先の役員たちと接する機会が増え、また同じ得意先と付き合いのある業者仲間と話す機会も増えました。するとみんなが、異口同音に同じことを言ってくるのです。

先代の悪口を。


現場を置き去りにした「鶴の一声」

私が会社に入ったのは、全く違う職種からの転身でした。だから最初は、この業界の仕事の進め方というものをほとんど知りませんでした。

得意先との打ち合わせで、次の取引の条件を提示されると、私はそれを先代に報告していました。好条件とは言えない内容が多くありました。

私は前の職場の経験から、「仕事とは与えられた条件の中で最適な方法を見つけ出していくものだ」と思っていました。しかし先代は違いました。私が持ち帰った条件を聞くと憤慨し、得意先に乗り込んでいくのです。

先代は、気に入らないことがあると、メインの得意先の社長に直談判し、現場の課長たちが決めた条件をひっくり返してきては、得意満面でした。社長の鶴の一声で、色々と便宜を図ってもらっていたようです。

何故そんなことが出来たのか?先代はゴルフが好きで、得意先の役員や社長と、よくゴルフ旅行に出かけていました。そういう地元のグループに入れてもらっていたのです。そこで、人脈を作っていった。得意先のトップと仲良くなっていれば無敵、そう考えていたようです。


腑に落ちないまま、飲み込んでいた

そういう場面は、その後も何度もありました。

私はその都度、「この業界の仕事の進め方とは、横車を押すようなやり方じゃないと務まらないのか?」と感じていました。腑に落ちないものを抱えながら、それが業界の流儀なのかと自分を納得させていました。

そして得意先の課長たちは、先代に対していつも平身低頭でした。自分の会社の社長と仲が良い先代に失礼があると面倒なことになるかもしれない。そう考えて居たのでしょう。しかし、内心いい気はしていなかったはずです。


時間差の逆襲

時が流れました。

煮え湯を飲まされ続けてきた課長たちが、やがて部長や役員に昇進していきました。

私に取引削減を告げてきた「部長」も、まさにそういう一人でした。何度も話をひっくり返されてきた人物でした。そして、そういう悔しい気持ちを理解する方が社長になった時、反撃が始まったのだと感じています。

もちろん、取引削減の理由がそれだとは言いません。そんなことを口にするわけがない。ただ、私はそう感じています。

社長になって初めて聞いた話

私も社長になると、先代が付き合ってきた業者仲間や、得意先の役員たちとの関係を引き継ぎました。そして色々な関係者の方々とお話をさせていただいて行く中、とても驚いたことがありました。

みんなが、異口同音に先代の悪口を私に言ってきたのです。

当時の私は、かなり違和感を感じていました。得意先からは仕事上での話、ゴルフ仲間からはゴルフ場でのこと。「人の父親の悪口を、よくもそんなに言えるものだ」と。ただ、取引削減の背景にこういう人間関係が影響しているかもしれない、などとは、その時点では思いもしませんでした。そう気づいたのは、もっとずっと後のことです。


病床で聞かされた「最高の仕返し」

会社が倒産してからも私のことをとても気にかけてくれて、あちこち誘ってくれる有り難い友人が居ます。私と年齢も近く、趣味も近いので倒産後の業界関係者で唯一顔を合わせている人です。

私が社長になった時期、まだその方は表舞台には出てきてなくて、その方の父上が現役でした。ひよっこの私にとても優しくしてくれて、助かった記憶があります。とてもユーモアがあり、得意先にも業者間でも人気でした。

その父上が晩年、内臓系を患って入院し私がお見舞いに行ったときの話です。 

彼は先代とのゴルフ場での思い出を語ってくれました。先代がティーグランドで間違ったところから打とうとしていた時、その父上は教えず黙ってみていたそうです。そして打ち終わってから先代にその事を指摘し、先代が悔しがったと。

あの時は最高だったと、その父上は病床で思い出話を語られました。つまり、「最高の仕返しができた」という話をしたのです。

私は、「ほんとですか~。」と笑いながら返すしかありませんでした。

しかし、心のうちでは、「先代はどれだけ嫌われていたんだ?」と、驚いたというか、がっかりしたというか。


嫌われながらも結果を出した人

しかし、ここで一つ、はっきり書いておかなければなりません。

先代は確かに外に敵を作るやり方をしていました。しかしその一方で、会社には圧倒的な内部留保を積み上げていました。私が引き継いだ時点で、資本金の10倍ほどの内部留保がありました。従業員へのボーナスは年に3回。会社を守り、家族を守り、人を養い続けた経営者でした。

どんなに嫌われようと結果を出した人と、会社を潰した人と、どちらが経営者として正しかったか。

答えは明らかです。


22年かけても覆せなかったもの

私の社長としてのスタートは、このメインの得意先との関係修復から始まりました。新しい課長や部長と仲良くなり、可哀想な新社長を演じながら、私の会社との関係を改善したほうが良いのではないか?という雰囲気を醸成してきたつもりです。

もちろん、得意先すべての従業員さんが敵だったわけではありませんので、私の会社をよく思ってくれていた方々の糸をたぐりながらの道のりでした。

関係が完全に修復できるまでに10年以上かかったと思います。

先代は晩年、私にこう言いました。

「お前には商才がない」

当時は反発もありました。しかし今となっては、否定できない言葉です。

敵を作らず、何事も穏便に済まそうとする私の性格は、経営には向いていなかったのかもしれません。先代が積み上げた10倍の資産も、私の手の中では意味を持ちませんでした。

先代のやり方を「わがままだ」と感じていた私が、その先代が大切にし続けた会社を潰しました。

負の遺産があったとしても、20年以上かけてそれを覆せなかったのは、私自身の責任です。

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