【凋落の始まり】社長交代を告げられた朝|ゆでガエルの誕生日

倒産前の経営・人と組織

あの日から22年後、私は会社を倒産させました。

会社の売上高は16億円から3億円になっていました。それは7%ずつ、毎年確実に落ちていった計算になります。

もちろん何も対策をしなかったわけではありません。ただ、少し落ちたので、その分の対策。別の原因が発生してまた落ちる。そんな繰り返しでした。

ゆでガエルという言葉がありますが、まさにそれ。熱くなっていく水の中で、私はずっと「まだ何とかなる」と思い続けていました。

凋落には、始まりの日があります。私の場合、それはドラマのような朝でした。


出掛けに呼び止められた

その日はメインの得意先への訪問日でした。何の用件だったか、正直なところ覚えていません。それくらい、普通の一日でした。

出掛けようとしたところで、先代に呼び止められました。

「次の株主総会で社長を交代する」

私が40歳の年です。


中途半端な立ち位置にいた40歳

それまでの私は、会社の中で中途半端な立ち位置にいました。責任はない。でも自由もない。先代との年齢差は30歳。極端な話、先代が90歳まで社長を続ければ、私は60歳でそのまま引退することになる。そんなことを考えたりもしていました。

だからバトンが来たときの気持ちは、嬉しいとも不安とも言いがたいものでした。ついに来たか、という感覚。中途半端なポジションへのイライラがあっただけに、それが解消されるという安堵もありました。

複雑な気持ちを抱えたまま、得意先へ向かいました。


ドラマのような展開

得意先の事務所に顔を出すと、担当の部長から「ちょっといいか?」呼ばれました。

打ち合わせ用のテーブルにつくと、部長は神妙な面持ちで、こう言いました。

「御社との付き合いを根底から見直すこととします。これまで長年の付き合いでしたが、一旦白紙に戻し、新規取引先と同等の扱いとします。」

何を言われているのか分かりませんでした。子会社のように長年付き合ってきた弊社を、いきなり0ベースで見直すと。その場でまず、メインの仕事を取り上げると宣言されました。取引全体の25%に匹敵するものでした。

理由は「技術や商品が陳腐化していて、改善を見通すことができない」というものでした。でも本当の理由は他にあったと、私は思っています。それはまた別の記事で書こうと思います。

社長交代を告げられた日に、大きな取引を失いました。得意先に交代の予定を伝えていたわけではありませんでした。たまたま、そういう日だったのです。

私はその場で、内容をよく聞いて間違いなく持ち帰ることだけを考えていました。抗うという発想はありませんでした。そういう立場でもありませんでした。「それはどういうことでしょうか」と確認しながら、伝令として話を聞いていました。


先代は動いたが、話は覆らなかった

帰社して先代に報告しました。ずいぶん驚いた様子でしたが、まだ何とかなると思ったのでしょう。先代は先方の社長にまで直接談判に行きました。

どんなやり取りがあったのか詳しくは聞けませんでしたが、私よりも突っ込んだ話があったみたいでした。それでも頑張って交渉したみたいでしたが、結局話は覆りませんでした。


その夜、考えることがプラスとマイナスで

その日の夜、頭の中でプラスとマイナスが入り交じっていました。

社長になる。でも最初の日に大きな取引を失った。まだ責任者でもない。先代が動いてくれた。でも覆らなかった。

「とんでもないスタートになったな」と思っていました。しかし会社全体からしたら、まだまだ致命傷とは言えない。「ちょっとした躓き」だ、と気持ちを持ち直していました。

実際、まだバトンは先代が持っていて、私自身に社長としても責任感も自覚もありませんでした。知識として知ってはいましたが、何も分かってなかったというのが、正直なところです。

そして、その「ちょっとした躓き」が凋落の始まりだったということです。でも、その時には分からない。それから毎年、いくつもの「ちょっとした躓き」が続いていきます。そして、すべて「致命傷ではない」そう思っていました。

それが、考えてるふりをし続けた「ゆでガエル」の姿です。

22年かけて、私はゆっくりと茹で上がっていきました。


このシリーズでは、倒産に至るまでの22年間を振り返ります。華々しい復活劇ではありません。ただ、落ちていく様子を正直に記録していきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました