会議というのは本来、現場から情報を吸い上げ、次の一手を決める場のはずです。でも私の会社では、年に数回しか開かれない会議で、なぜか社長自身が現場の資料を作っていました。
「現場は汗をかけ」という文化
先代の頃から、うちの会社の会議は年に4、5回しかありませんでした。給料や賞与を決める役員会議、季節商品の数量を決める会議、そして昨年の結果と今年の目標を発表する会議。この3種類で営業部の社員が出席する会議は年に2回だけでした。
その発表会議には、ずっと違和感がありました。中長期計画のような会社の方向性を語る場なら、社長が資料を作って発表するのも分かります。でも、営業部の成績のような現場の数字まで、なぜか先代が自分で資料を作っていたのです。本来なら、現場が作って発表するはずのものなのに。
理由は、先代の価値観にありました。「事務仕事は自分か事務員がやるもの、現場の人間は汗をかけ」。先代は、営業の社員が机に座っていることをとても嫌っていました。
育ててはいけない、という継承の正体
この背景には、先代自身のトラウマがあったのだと思います。私が会社に入って間もない頃、作業ばかりで頭を使わない社員さんたちのやり方に疑問を感じ、先代に不満をぶつけたことがあります。そのとき返ってきたのが、こんな話でした。
当時の業界には、大きな会社で実力をつけた社員が独立していくというパターンがありました。先代が手塩にかけて育て、役員にまで引き上げた番頭さんも、その一人でした。ところがその人は独立してすぐに事業が行き詰まり、行方不明になってしまったそうです。
このショックが、先代の中で「育てて力をつけさせるのは危険だ」という結論になっていったのではないかと、今は思います。現場に実務力や資料を作る力を持たせないというのは、怠慢ではなく、一種の防衛策だったのです。
自分も変えられなかった

私はこの継承を、変えられませんでした。社長になった当初は、10歳以上年上の先輩ばかりで、そもそも机に座るのが苦手な人たちしかいませんでした。業界の縮小に合わせて景気も悪くなり、会社も3分の1の規模になってしまいました。世代交代が進んで、自分より少し下の世代が残るようになり、ようやく「資料を作らせてみよう」と試すことができました。
でもその頃には、会社はすでに傾いていました。銀行対応と資金繰りで頭がいっぱいで、資料の作り方をきちんとレクチャーする余裕がなかったのです。頼んだ社員は結局、事務の女性に丸投げしてしまいました。それを見て、私はどうでも良くなってしまいました。
本当は、資料を作らせて自分で発表させ、数字を深く認識してもらい、次の行動につなげてほしかった。でも、その「形」を求めるのは順番が違っていたのだと、今なら分かります。必要だったのは形式ではなく、次への行動でした。
変えられなかったツケ
前年の目標などに届かなかったとき、私は叱責すらしませんでした。「出来ないものは仕方ない」という空気が、社内には流れていました。これは先代の頃からのものです。当時は会社が伸びていたので、汗をかくだけで成績もついてきました。頭を使う必要が、そもそもなかったのです。
私は以前、別の会社に勤めていたことがあります。そこでは、社員が発表し、上司が意見を言うというスタイルでした。本当はそういう会議にしたかった。でもそれは、最後まで夢のまた夢でした。
会社が伸びていた時代の会議のやり方は、環境が変わってからも、そのまま引き継がれてしまいました。頭を使わなくても回っていた頃のスタイルを、頭を使わなければならない時代にも続けてしまった。そのズレを、変えたくても変えられなかったことが、会社を静かに蝕んでいった一因だったのだと思います。

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