解雇してから何年か経った頃、彼は亡くなりました。死因は、私には知らされていません。
正直に言うと、私は今でも、彼を殺したようなものだと思っています。
彼は会社の元役員でした。飲酒がらみの問題を起こして役職を外れ、その後も社員として会社に残り続けていました。この話は、22年の会社人生の中でも一番残酷な記憶です。
ある朝、コンビニに寄ると、彼がいました。缶チューハイの500ml缶を2本、レジ前で持ったまま、少し気まずそうな顔で棚に戻していたのを覚えています。当時、私はまだタバコを吸っていたので、朝のコンビニ通いはよくあることでした。そこで偶然、何度か彼を見かけたのです。
出会った頃の彼
入社してすぐの頃、彼と食事をしたことがあります。酒の席で、彼は悪びれもせず、学生時代の試験はすべてカンニングで乗り切ってきたという話をしました。笑い話のつもりだったのかもしれません。でも私の中では、この人は基本的に信用できないタイプだ、というインプットがされました。
当時の彼は、酒が好きという点では私と大差ありませんでした。家に帰って毎晩飲む、それ自体は特別なことではなかったのです。彼の飲酒に対する依存症が何をきっかけに悪化していったのか、よく知りません。ただ、表向きは真面目で仕事熱心に見える人でした。だからこそ先代も、彼を役員クラスの地位に引き上げたのだと思います。
転落、それでも切らなかった一度目
飲酒がらみの問題を起こし、彼は役員の座を外れました。当時はまだ先代が社長でした。先代は勤務中の飲酒の噂が絶えない彼について「自分で処理してから引退する」と言っていましたが、結局何もしないままズルズルと時間だけが過ぎていきました。
昔は飲酒に対して今ほど厳格ではなく、お昼ご飯にビール1本などは普通だったと思います。業界内でも朝から飲んでいる人もたくさんいました。それでも、飲酒絡みで事故を起こしたのですから、この段階で退職させていてもおかしくなかったと思います。社内にも、そういう空気は確かにありました。
二度の入院、会社にできる範囲での対応

会社で毎年行っていた健康診断で、彼のγGTPの数値は基準値を大きく超えていました。結果、入院することになり、退院後は「もう酒は止めます」と本人が宣言しました。
しかし、それは一度では終わりませんでした。同じことが、もう一度繰り返されたのです。二度目の入院でも、会社は有給などを使い、彼に負担がかからないよう配慮しました。
私自身、彼にAA(アルコホーリクス・アノニマス)という自助グループの存在を勧め、自分でも調べました。皮肉なことに、そのとき調べた内容がきっかけで、私自身は長年吸っていたタバコをやめることができました。
事故を起こしても解雇にしなかったこと、二度の入院に配慮したこと。数えてみれば、会社が区切りをつけずに関わり続けることを選んだ場面は、三度あったことになります。
それでも、彼の勤務中の飲酒は続きました。隠れて飲む手口も、次第に巧妙になっていきました。それでも、酔っている本人の様子までは隠しきれていなかったように思います。
飲酒運転への社会的な目が厳しくなっていた時期でもあったので、事故だけは避けなければと、配達の担当から倉庫番へ配置転換しました。もっとも、出退勤に自家用車を使っていたことに変わりはなく、リスクそのものがなくなったわけではありません。結果として、事故は起きませんでした。それは、正直に言えば運が良かっただけだと思っています。
綻びが表に出た

倉庫番として彼が担当していた在庫は、年度末の棚卸しで帳簿と大きく食い違っていました。会社がひっくり返るほどのズレが、そこから見えてきたのです。当時は、その結果を目の当たりにし当惑するしかありませんでした。状況を彼に問いただしても「あぁ、そうですか・・」と、まるっきり他人事のような返事が帰ってきたのを覚えています。原因が分かったのは、もっと後になってからです。彼はまともに棚卸しをせず、前年の帳簿を適当に書き写していただけだったと、後になって知らされました。
現場からも、声が上がるようになりました。体を張って働いている自分たちより、飲みながら倉庫番をしている人間の方が給料が高い。そういう不公平感を、他の従業員から直接ぶつけられたこともあります。あの時感じていた不公平感には、多少の思い込みも混じっていたかもしれません。ただ、無視できる声ではありませんでした。
決断、そして一番の後悔
社長が交代し、私が経営を引き継いだ後、私は彼の解雇を決めました。
ひとつだけ後悔しているのは、そこに至るまでの伝え方です。「このままでは解雇になります」という段階を、私は踏みませんでした。言わなくても分かっているだろう、と思い込んでいたのです。しかし実際には、私が悶々と考えていただけで、彼には何も伝わっていなかったのかもしれません。ある日突然、区切りをつけられた、という形になってしまったのだと思います。
その後
解雇してからしばらくして、彼について誠実とは言えない話を、いくつか人づてに聞くことになりました。得意先との間で、何か取り引きをしていたらしいという話です。私自身が確かめたわけではなく、証拠を見たわけでもありません。真偽のほどは、今も分かりません。
そして、その後、彼は亡くなりました。死因は私には知らされませんでした。従業員には葬儀の案内が届いていたようですが、私は呼ばれませんでした。それも当然のことだと思います。
その知らせを受けたとき、私は彼を殺したようなものだと思いました。今でも、その感覚は消えていません。
今、振り返って思うこと

会社は経済的な組織であって、人道支援の機関ではありません。それは今でもそう思っています。それでも、あの時もっと何かできたのではないかという問いは、消えずに残っています。
もし彼が、通勤中に誰かを事故で傷つけていたら。依存症だと分かっていながら車を運転させていた経営者として、私は責任を問われていたはずです。会社の信用も失い、取引先からの風当たりも強くなっていたでしょう。守らなければならなかったのは、彼一人だけではなかったのです。
世間や社内の感覚からすれば、私たちはむしろ、彼に温情をかけすぎた側だったと思います。それでも、彼を救ったとは言えません。かといって、見捨てたわけでもないと思っています。強いて言うなら、中途半端に関わり続けた末に、最後は止むにやまれず切り捨てた、という感覚が一番近いのかもしれません。
今になって思うのは、当時会社がしていた配慮の一つひとつは、彼のためというより、会社を守るためのものだったということです。彼の依存症を何とかするのは、本来自分の仕事ではないという気持ちも、正直なところありました。だからこそ、本気で立ち直らせようとしたのか、と聞かれると、自信を持って頷くことはできません。
経営者としては、間違った判断ではなかったのかもしれません。ただ、人として正しかったのかと問われると、私にはまだ答えが出せません。
この記事は、労務や解雇に関する一般的なアドバイスではなく、あくまで一経営者としての個人的な体験の振り返りです。

コメント