「うちの社員には愛社精神がない」と感じたことはありませんか。
22年間、会社を経営して最後は倒産した私ですが、今振り返ると、社員との距離を作っていたのは私自身でした。会社に「文化」を作れなかったことが、その大きな原因だったと思っています。
ある中途社員の一言から気づかされたこと、そして現役の経営者の方に今すぐ見直してほしい「社員との向き合い方」についてお話しします。
「ここの社員たちには愛社精神がない」
そう言ったのは、55歳で中途入社してきた社員でした。仕事の雑談中にぽつりと。特に責めるような口調ではなかったのですが、その言葉は妙に引っかかりました。
当時、経営はすでに上手くいっていませんでした。私自身が疑心暗鬼の塊みたいになっていて、素直に受け取れなかったのです。「そうかもしれない」とも「違う」とも、言えなかった。
でも今思えば、あの言葉は正しかったと思っています。
彼が知っていた「愛社精神がある会社」
その社員は、前職でしっかりした愛社精神教育がある会社にいた人でした。だから比較できる目を持っていました。
しかも彼は、先代が社長だった頃からうちの会社に在籍していました。「この会社はいい会社だ」と社員たちが生き生きと語っていた時代も知っていて、私が社長になってから変わっていく過程もすべて見ていた。
そんな彼から「愛社精神がない」と言われた重みを、当時の私はまだ理解できていませんでした。
私が見た「行き過ぎた愛社精神教育」
実は私にも、愛社精神教育というものを経験した時期があります。サラリーマン時代に勤めた会社のことです。
そこは、はっきり言って宗教的でした。
朝礼では全員で社是を唱和する。毎日、持ち回りで前に立ち、その日の所感を語る。前向きな発言をしないと怒られる。新入社員研修では、創業者がいかに素晴らしかったかを何日間もかけて叩き込まれる。「何だこれ?」と思いました。
だから自分が社長になったとき、同じようなことはやりたくないと思っていました。強制して生まれる愛社精神なんて、本物ではないと。
社是は作った。でも絵に描いた餅だった
正直、愛社精神というものが必要かどうかも疑問でした。「そんなものが無くても、自分の仕事をきちっとやってくれればよい。」そんな考えもありました。
一方で、社員のベクトルを合わせて、力にしていくことは必要だとも思っていました。
何かしなくてはと焦り、私も社是を作りました。それなりに言葉を並べました。でも今思えば、あれは完全に絵に描いた餅でした。
なぜか。自分自身が「この会社をどうしたいのか」が分かっていなかったからです。大きくしたいのか、したくないのか。守りたいのか、変えたいのか。そんな根本的なことすら、22年間ずっと曖昧なままでした。
方向性が定まらない社長が作った言葉が、社員の心に届くわけがありません。文化を育てるための土台そのものが、なかったのです。
聞けない社長が作った距離
愛社精神のような文化が根付かなかった理由は他にもあります。
私は人に聞くのが苦手でした。実務のことも、経営のことも、「知らないと思われるのが恥ずかしい」という気持ちが邪魔をして、なかなか聞けなかった。
社員たちはどう見ていたでしょうか。おそらく「お手並み拝見」という感じで、遠巻きに見ていたと思います。社長が壁を作っているのだから、社員も近寄れない。その距離が、愛社精神どころか社長と社員の間の壁になっていきました。
今になって思うのは、コンサルタントにお金を使うなら、資金繰りや経営改善よりも、こういう文化作りや社員教育にこそ使うべきだったということです。二代目、三代目の息子社長では、社員も素直に本音を言えない部分がある。だからこそ外部の人間が「会社員とはこうあるべきだ」という話をする場を作れば、違う展開があったかもしれません。
仕事・会社との向き合い方を定めることが、すべての土台になる
愛社精神は、強制して生まれるものではないと今でも思っています。
でも、仕事とどう向き合うか、会社とどう向き合うかを、きちんと言葉にして定めることは絶対に必要でした。それがないまま社員に「この会社を好きになれ」と思っていても、無理な話です。
そしてもう一つ。
正解を求めなくていいので、色んな人に聞いてみてください。頓珍漢な答えでも、参考になることはあります。少なくとも、聞くことで仲間ができます。40代、あるいは50代前半くらいまでなら、まだ十分に間に合います。
私のように、一人で抱え込んで損をしないでほしいと思います。

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