【凋落の始まり】先代のビジネスモデルを引き継いだ日|正しいと信じた仕組みの限界

倒産前の経営・人と組織

引き継いだ時、「素晴らしい仕組みだ」と教えられた

2002年(平成14年)、私は父から会社を引き継ぎました。

その時に教えられたのが、先代が作り上げた「3本柱」のビジネスモデルです。製造・小売・卸売の3つを自社で手がける、いわゆる垂直統合の仕組みでした。

「この仕組みは、それぞれの部門で利益を積み上げていくものだ。うまくできているだろう」

先代はそう言いました。私も、そう思いました。自社ブランドを持ち、製造から販売まで一貫して手がける。当時の私の目には、確かに素晴らしい仕組みに映りました。


当時の売上規模なら、完璧な仕組みだった

社長就任時の売上は、約16億円でした。

製造で作り、小売で売り、卸売でさばく。それぞれの工程で利益が乗っていきます。トータルすると、よく儲かりました。当時はそういう時代でもありました。

ただ、この仕組みには一つ、大きな前提がありました。

その当時の規模で売ることが大前提の仕組みだったのです。

売上規模が大きければ、各部門の固定費を吸収して余りあるほどの利益が生まれます。しかし売上が落ちてきた時、この仕組みはどうなるのか。会社が順風満帆だった就任当初の私に、そこまで考える必要性はありませんでした。好調な時は各部門が力を合わせて利益を積み上げていきました。

しかし悪くなってきた時、どこの部門に問題があるのかがはっきりしなくなる。それがこの仕組みの盲点でした。


流通の大変革が始まった

就任から数年は、まだ会社を「コントロールできている」感覚がありました。

転機は、第1弾の記事でも書いたメイン得意先からの突然の取引削減です。同社との売上の約25%に相当する仕事が、ある日突然消えました。

しかしそれだけでは致命傷とはなりません。十分に他でカバーできる、そういうつもりで仕事を進めていましたし、実際に切り抜けていたと思います。でも、問題は別のところで起こっていました。

業界全体で、流通の大変革が静かに、しかし確実に進んでいたのです。長年取引のあった得意先が倒産する。廃業する。あるいは規模を大幅に縮小する。そういうことが、年々続きました。

売り先が消えていく。それは、私一人の力でどうにかできるものではありませんでした。


部署は消えていった。しかし、本社の設備はそのままだった

売上の減少に伴い、赤字の部署は順番に削減されていきました。

小売の店舗が閉まり、卸売の部署が縮小され、気がつけば「3本柱」のうち、実質的に機能しているものが限られてくる。社員の数も、毎年少しずつ減っていきました。

しかし、本社の設備はそのままでした。

建物も、機械も、インフラも、16億円時代に作られたままの規模で残っていました。これが重くのしかかりました。部署をいくつ削減しても、この固定費の壁は越えられなかった。

売上は毎年、確実に落ちていきました。

年度売上高
2002年(就任時)約16.6億円
2010年約9.7億円
2015年約6.9億円
2020年約3.4億円
2023年(最終年)約3.3億円

数字で見ると、改めて壮絶だと思います。


今思えば、早い段階で大改革が必要だった

22年間を振り返って、今こう思います。

早い段階で、根本からビジネスモデルを作り直す必要があった会社だった、と。

先代が作った仕組みは、時代に合っていた時は本当によく機能しました。しかしそれは「右肩上がりの時代」「売上規模がある時代」専用の設計だったのです。市場が縮み始めた時に、その仕組みごと転換する発想が求められていた。

ただ、当時の自分には、到底そこまで考えが及びませんでした。

会社全体を俯瞰して見る力が、私には足りていなかった。引き継いだ仕組みを「正しい」と信じたまま走り続けた。最後まで諦めなかったことは確かですが、諦めないだけでは足りませんでした。

これは市場のせいでも、先代のせいでもありません。その仕組みの限界を見抜けなかった、自分自身の話です。

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